電脳せどりでいつでもどこでも自由に稼ぐ!

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しんしるの自己紹介【せどりを始めるまで】


こんにちは。しんしると申します。

この度は、当ブログ「電脳せどりでいつでもどこでも自由に稼ぐ!」にご訪問頂き、誠に有難うございます。

このページでは管理人「しんしる」のプロフィールをご紹介しております。

しんしるって一体どんな人?が、少しでもお伝え出来たら幸いです。

長文になりますが、よろしければお付き合い下さいませ^^

 

しんしるの生い立ち


By: Greg Lobinski

1976年生まれ、性別:男
神奈川県で育ち、男、女、男の三兄弟の長男
現在はおとなりの東京都に住んでいます。

幼少の頃はとにかく外で遊ぶのが大好きで、登校前の早朝から公園で野球やったり、

地元の山を探検したり、クワガタ取ったり、いたずらしては怒られ、この繰り返しでした。

いたずらで思い出すのは、昔近所には梨園が結構あり、小1~小2の頃はその梨をコッソリもぎ取って歯でガリガリ皮を剥き、農家のおじさんに「こらっ!!おまえらっ!!」ってバレると、梨の芯をおじさんに投げつけダッシュ!!

そんなことをやっておりました。完全に犯罪ですね。

まあ、そんなことが楽しくて仕方なくて、

朝から晩まで自由に駆けまわる生活をしていました。

そんな野生児がごとく生活をしていたのですがその反面、小児喘息があり、しょっちゅう発作を起こしては病院で注射してもらったり大好きだった小学校を年中休んだりしていました。

まあ薬が欠かせない体だったのですが、母親が薬に対して抵抗感があったようで、体質改善を主としたことを色々やってきました。

乾布摩擦やったり、健康食品をたべ続けたり、発作の時以外は薬は使わない!という考えですね。

その甲斐あって、体も丈夫になり、中学生の頃には月1回程度発作があるくらいまで改善していました。

薬からの脱却を根気よく続け、育ててくれた母親には感謝でいっぱいです。もっと親孝行せねば。

そんなことで、健康な子より自宅で過ごすことが多く、勉強は学校が半分位、家が半分位、また自営業の家系ということもあり、独学することが他の子より多かったと思います。

特に学校は遊ぶところでしたので、授業中は消しゴムちぎって投げたり、ほとんど遊んでました。

ちなみに僕は、学習塾というものに行ったことがありません。集団学習は学校のみで、あとは独学です。

中学、高校と地元の公立に進学し、一浪して大学へ進学することが出来ました。

この時もやはり受験勉強は独学のみで、自宅か、何箇所かある図書館を気分によって変えながら勉強していました。

独学は自分でやるって意思と実現可能な計画性が大事だったりします。無理な計画では長続きしませんし意思が弱いとすぐテレビ見たりしちゃいますからね。

僕は物事を計画的に実行しようとするタイプなのですが、その考え方は幼少からの独学で身につけたものなんだと思います。

なお、夏休みの「計画」ですが、僕は宿題を

7/31までに全部終わらして、8月は全部遊ぶ!

という計画を立てて実行してました。そんなタイプだと思って下さい^^

 

”仕事”とのふれあい ~学生時代~


By: Moyan Brenn

先ほども少し書いたとおり、僕は父親が自営業をしておりました。

元々父親はサラリーマンだったのですが、僕が幼少の頃に同業で独立、父親も営業職だったので、お客さんから注文を取って、仕入先さんに注文を出す、価格差で利益をいただく商売をしておりました。

独立といっても法人化してるわけではなく、屋号たてた個人事業主です。

技術職ではないため、親父は自分のことを

個人ブローカー

といっておりました。

印刷の仕事がメインでしたが、宛名書きの仕事も取っており、内職さんに仕事を出して宛名書きしてもらったりしておりました。

なので自宅兼職場の我が家には、内職のおばちゃんたちがよく来ていて、宛名書きやパンフレットの封入などをしておりました。

僕が最初に「仕事」をしたのは小学生の頃、この封入作業などをやったのが始めです。

小学生の手伝いか!って思われるかもしれませんが、内職のおばちゃん並みに仕事をしており、

何万枚ものチラシを折り込み、封入、働いておりました。

少しでも早く終わらせたい、多くのご褒美を貰いたい、そう思ってた僕はいつもこう考えておりました。

仕事を今よりも早く終わらすにはどうするか?

効率よく作業する方法を編み出しては実践し、そんなことを繰り返しておりました。

そして僕は小学生ながら、どのおばちゃんよりも仕事が早い少年となりました。

仕事の早い僕を見て、おばちゃんたちがそれを真似したり、僕にやり方を聞いたりしてきました。

ちょっとした優越感です。

悪ガキなので普段は怒られてばかりですから。

教えることがすごく楽しかったことを今でも覚えております。

そのうち高校生になってバイクの免許を取った僕は、お客さんのところや内職のおばちゃんところに仕事を届けたりしてました。

よく親父がお客さんに電話で、「緊急なんでしょ?いいですよ。特急のバイク便回しますよ」って言ってましたね。

この電話のやりとりしている間に僕はバイクのエンジンをかけ、ヘルメットもってスタンバる訳です。

電話を切ったと同時に誰に何を届けるか確認し、1分後には出発してる訳ですね。

自宅が神奈川、お客さんが東京は大手町中心、僕はバイク便業者のように、お客さんに荷物を電話から1時間以内にお届けしてました。

お客さんは大喜びです。

僕はというと親父から報酬を1万円以上頂きます。いい仕事でした。

この頃の僕は、

お客さんも喜び、僕も喜び、親父も満足、仕事って、いいなあ

こんな感じでした。

今思えば、この仕組みをコントロールしている親父がすごいんですけどね。

家業と同時に僕は15歳の頃からバイトをしておりました。

地元のスーパーでレジ打ちや品出し、一連の業務全般です。

バイトは親の教育方針、労働とお金のリアルさの教育です。

あくまでも教育の一環でバイトをしています。

遊ぶお金を得るためにバイトさせてるわけではありません。

そのため高校の授業料は全額自己負担です。

僕は一生懸命バイトをしました。

労働自体は小学校の頃から仕事してましたので、はじめから抵抗感はありませんでした。

ただ、その全部のお金を遊びに使えない、そのことを現実に理解することが出来ました。

そしてやはり、

少しでも早く正確に、を追求しておりました

どのパートさんよりレジ打ちは早く正確でしたし、品出しでも掃除でもバックヤード作業でも、なんでもこなしました。

そして、少しでも給与をえるためには?をいつも意識しておりました。

他店舗にも積極的にヘルプで行ったりして、給与と価値観を高める努力をしていました。

ここでは高1~高3までの3年間続けましたが、そんな僕を高く評価して頂き、元々700円だった時給は

高校生ながら時給1270円にまで上がりました

時給はほっといて自然に上がるものではありません。

僕はこの労働力を武器に、しょっちゅう時給交渉をしていたのです

この頃には労働力の対価として、給与を得る、雇う側と雇われる側は対当、仕事すればその分お金が入り、しなければお金は入らない、そういう考え方でした。

大学行っても考え方は変わらず、いろんなバイトをかけもちました。そしてどこでも仕事を追求していったのです。

もう、労働と給与の関係が楽しくて仕方ありませんでした。

そして大学時代に周りの友人とのギャップを感じる出来事が起きました。

在学中に20歳を迎えます。

自動的に国民年金という支払いが発生します。

我が家では当然自己負担です

国民年金を自分で払っている友人は一人もいなく、それどころか、大体は親の義務だと言っておりました。

また当初12000円台だった支払いが13000円台に上がった時に、その事実を知っている友人すら一人もいませんでした。

そして友人たちを、正直ヌルいと感じました。

これでは自立した時苦労するだろうな、そう思いました。

この頃、親の教育方針を感謝することが出来ました。

 

社会人になって最初の就職先 ~デビュー戦~


By: National Library of Ireland on The Commons

さて、そんな僕もいよいよ社会人デビューです。

丁度年功序列の崩壊とか、実力主義とか、そういった言葉が流行った時代です。

僕はコミッション制を導入している会社に入社しました。対個人営業です。

まだパソコンが一家に一台あるかないかの頃でパソコンやパソコン習得の教材などを販売する仕事です。

電話帳や名簿など片っ端から電話して、商品を売り込みます。

もう一瞬でバンバン切られます。

切られるだけならまだしも、結構ひどいこと言う方もいらっしゃいます。

罵声を浴びせるだけ浴びせ、ガチャン!と切られる。

そんな感じでした。

仕事内容は非常に過酷なものでしたが、売ったら売った分だけコミッションが入ります。

なので大変などと言ってる場合ではありませんでした。

僕はやり甲斐を感じ、次々に電話をかけました。

そして、入社3ヶ月目にして月収60万円を達成、若い会社で100名規模の会社でしたが、いきなり注目を集めます。

今までの仕事に対する追求心が社会に通用する!

そう感じました。

その後も順調に成績を伸ばし、すぐにトップセールスマンの部類となり、入社3年目で管理職までさせて頂くようになりました。

ですがかなりのオーバーワークです。

仕事は早くて22時位、0時過ぎるのが当たり前。

もちろん土曜も出社、ほぼ毎日終電ギリギリな生活を続けていました。

月の労働時間は300時間オーバー

が当たり前でした。

最初は根性でなんとでもなるんですが、こんだけ過酷だと、やはり長続きしません。

仕事終わって終電乗って、家ついてすぐご飯と風呂入って寝て、すぐまた仕事行って・・・

3年半繰り返してましたから。

そして、あろうことか喘息が再発してきたのです

これはヤバイ!喘息だと喋れない!営業なのに!

最初は真剣にこう思いました。ちょっとおかしくなってますね。

体のことは二の次、仕事のことしか考えていないんですから。

だけど、体調は悪くなる一方、ひどかったのは帰宅途中歩いてる時にそのまま気を失って、しばらく倒れてた事があります。

お酒飲んでたわけではありません。

シラフで、です。

朝方、意識を取り戻した時、頭から血が流れていました。

ぶつけたみたいです。気づきませんでしたが。

その時の傷跡は今も残っています。6針縫いました。

僕はこの時はじめて、

この仕事、この辺でもうやめよう。

そう思いました。入社から丸3年たった頃です。

そして、その半年後、その会社を辞めました。

26歳でした。

 

転職活動からの再就職

150827_01

さて、僕は在籍中に就職活動をしませんでしたので晴れて無職となってしまいました。

転職にはハローワークを使わせて頂きました。

僕は前職の経験から、とにかく労働時間が常識的で普通の会社に入ろうと思いました。

もう、コミッションもいりません。

そして、もう一つ興味があったのは、

対法人営業

です。

業種は何でも良かったのですが、法人相手に、特に大手に対して売り込みたい、自分の力が通用するか、試したい、そう思ったんですね。

そして、ハローワークで見つけた企業をとりあえず2社応募してみました。

どちらも創業30年、60年と長く、取引先が大手企業の中小、法人営業の会社です。

再就職が大変だって言われてたので、練習がてら、受けてみようと思いました。

そしたらありがたいことに、両社とも合格を出してくれました。

あら、もう受かっちゃった

そして、僕はそのうちの一社を選び、再就職することが出来ました。

退職から入社まで丁度1ヶ月で再就職となりました。

 

再就職先での10年 成功と挫折

150827_02

さて、再就職し対法人営業の仕事がはじまりました。

小規模なオーナー会社、商社です。

前職との大きな違いは、新規ユーザーが圧倒的に少なく、継続取引であることです。

ですが仕事に対する姿勢、考え方に相違はありませんでした。

この時僕は、

業種やモデルが違くても、姿勢・考え方はそんなに差はない!

そう思いました。

自信を持って新しい仕事に取り組みました。

最初僕はメインユーザーの副担当者として正担当者のフォロー中心に仕事をしてきました。

僕の仕事ぶりはお客さんの評判もよく、重宝して頂きました。

そして、あるときお客さんの資材部長から、

彼を正担当者にしてくれないか?

と、僕の会社の社長に話が入ったのです。

どうやらお客さんの社内会議で僕の仕事ぶりが頻繁に取り上げられていたようで、このような話になったみたいでした。

元々の正担当者はずっと年上のベテラン社員です。

知識も経験も、僕よりはるかにあります。

ですがそれでもお客さんは僕のスタイルを評価、そして、お客さんから社長へ直接話がいったわけです。

すぐに異例の人事がありました。担当変更です。

そして僕は、一番の取引先である会社の正担当者となりました。

入社1年目のことです。

重要なお客さんでしたが、クセのあるお客さんでしたので、当時の社長は、僕の仕事ぶりを買ってくれました。

そして、順調に仕事をこなし、壁にぶつかることも少なく、持ち前のスタイルを貫き続けます。

お客さんからの評判もドンドン上がり、お客さんの社内打ち上げにまで参加させて頂けるようになりました。

また、商社ですのでメーカーさんとの仕事もあります。

日本を代表するようなメーカーさんです。

そんなメーカーさんもやはり高く評価してくれてました。

丁度、メインユーザーの正担当者になってから丸1年経ったころ、僕はこのメーカーさんから個別表彰を受けます。

今期、メーカーの業績に多大な影響を与えた営業マンとして

幼少から積み上げてきた仕事に対する信念、親の教育、社会人生活で得た全ての経験、そういったこと全てが評価されたと感じた出来事でした。

僕は、自信を持って仕事をこなしていきました。

やればやった分だけ、評価される。やらなければ誰も評価しない、仕事を追求するスタイルの客観的正当性に確信を持って仕事をこなしていました。

そして、入社丸4年の30歳の時、管理職につくことになりました。

創業60年の老舗企業にしてはかなり若い管理職ということで、当初は取引先からも不安の目で見られていたと思います。

また、僕は当時会社で2番目に若かったので、ほとんどの部下が年上、そんな感じでした。

先輩社員を部下として指示していく。

当然、面白く無いと感じる先輩方もいらっしゃいます。

ですが、実力で勝負していく、仕事を追求するスタイルは変えず、今までの信念持って仕事に取り組みました。

そして、先輩が持ち帰ってきたクレーム、こじれてしまった案件、先輩が諦めた案件、その一つ一つを丁寧に処理、好結果を導いていきました。

すると、だんだん先輩方は僕のやり方に頼るようになりました。

なんでも報告してくるようになりました。

僕に相談すれば、大概の事は好結果に導いてくれる、ならば使わない手はない、そう判断してくれたのです。

つまり、

管理者として、認めてくれたのです。

指示、戦略が行き届くようになりました。

僕の指示を全面的に信頼してくれるようになりました。

そしてその采配は、だんだんお客さんの信頼にもつながってきました。

担当者との同行訪問先では

最近、おたくいいねぇ~

などと、担当者に対する評価が、ドンドン良くなってきたのです。

管理者として、社内的にも社外的にも評価され、順風満帆に進んでいる、やり甲斐もある。

このまま仕事をもっともっと追求していこう

そんな充実した社会人生活をおくっていました。

やることやれば、善きに進む、そう思っていました。

そして、この順風満帆に見えた社会人生活、ちょうど管理職を預かってから丸3年、大きな出来事が起こりました。

それは、社長交代です

オーナー会社なので2代目社長から3代目社長に交代となった訳です。

婿養子である3代目は前々から2代目と仲良くありませんでした。

ただ、3代目は忘れっぽく口約束して約束を忘れてしまう、そういうところが多い方でした。

当然、お客さんからのクレームも頻繁でした。

2代目社長は社長時代、僕に彼(3代目)の教育をしてほしい、彼に仕事とは何なのか、教えてほしいと指示を出していました。

年下の僕は非常に難しい立場ながら、社長の勅命であることと、会社がよくなるならと、柔らかく3代目に仕事のことを教育していました。

教育と言っても、見た目は提案、そういう形を取りながらです。

3代目も、僕の提案を実行すると大概はうまくいくことを知っていました。

なので彼から相談をしてくることも多く、バランスの良い関係だと感じていました。

そんな3代目が社長になりました。

すると、

急激に新社長をもてはやす人間が周りに集まりだしました。

ベテラン役員を含めてです。

すると、どういうわけか、すぐ僕に対する当たりがきつくなりました。

僕は、会社として良いと判断できるものは良いといいますし、良くないと判断すれば変わる代案を提案します。

そして議論し、案を高めていく、それが一番だと思います。

ですが、全くと言っていいほど、僕の案を受け付けなくなったのです。

それからは3代目の周りは彼を褒め称える人間で固まっていきました。

間違えていようが、何であろうが、称賛するタイプの人たちですね。

さすが社長!!目の付け所が違う!!仰るとおり!!

冗談ではなく、ほんとにこんな感じの人たちですね。

どうやら、その人達が僕を出し抜こうとしていたのかもしれません。

3代目は流されやすい面と、どうしても楽な方に楽な方にと考えがおよびがちな方です。

その性格を逆手に取ったようなことなんだと思います。

いよいよ僕は管理職でいながら立場・居場所を失います。

社長やその周りが僕と付き合うことをしないようにと、社員に子供じみた教育まで始めました。

一応書いておきますが、僕が何らかの不正や失態、ミスもろもろ起こしたわけではありません。

会社の利益を追求し真面目に仕事をしていたし、態度が横柄だった訳でもありません。

今まで信じてきたものが揺らぎ始めます。

なんなんだこれは?一体何だんだ??

なにをやっても、どんな成果を出しても、評価はされなくなりました。

そして僕はある覚悟を決めました。

丸一年間、全てを社長の言ったとおりに行動する。

明らかに間違っていても、とにかくその通りに動く。

どんなにひどい仕打ちを受けても、黙って受け入れる。

そして、一年間実行してきました。

その間はつらい日々ですね。ただのイジメですから。

実績を出しても管理職は剥奪されてしまい、仕事は新規飛び込みをすることと何年も取引の無くなった元お客さんを掘り起こすこと。

何も言わずに、新規飛び込みと掘り起しを続けました。

掘り起し、半年で300社以上回りました。

中には倒産している会社もあったし更地になっていたり住宅街になっていたり。

20年前に1回しか取引がなく、怪しまれるケースも多々。

新規取引も随分始まりました。

会社では初となる電力業界に参入を果たし大手電力案件を受注。

また、つくばにある産○技○総合研究所に新規参入成功、案件獲得、受注へとつなげました。

会社にとってそれは未知の領域であり、大きな財産となる取引です。

社長から受けた指示はことごとくクリアしていきました。

ですが、何も変わりませんでした。

そして、社長の周りについた人たちは、ドンドン仕事をしなくなりました。

ご機嫌とりが忙しいのです。

業績が落ちてきました。ドンドン落ちていきました。

僕は、一年間我慢した後は、この状況を改善するべくまた提案をよく出しました。

もちろん何も変わりませんでした。

社長交代から3年、暴君と化した社長と、そのご機嫌取りで忙しくしている人たちがそこにはありました。

これがホントの仕事なのか?こんなのが仕事なのか?

そして、始めて、僕は挫折を認めました。

仕事に関しては、自慢じゃありませんがほとんど挫折したことが無かった自分。

全てがここで変わりました。

実力は二の次な世界が、ここにある。

親父に教えこまれてきた仕事に対する姿勢が通じない世界がここにある。

僕は悩みました。

悩んだ結果、やはり信念を守ることにしました。

そして、会社と退職交渉を始めました。

 

ネットビジネスとの出会い


By: MIKI Yoshihito

実は僕は随分前から、ヤフオク転売をやっておりました。

最初は例のごとく、不要品の販売です。

それから、フリマなどで買ったものを転売したり、ブック・オフで買ったものも転売したりしていました。

おもちゃが多かったですね。

特にキッズ向け知育玩具が多かったです。

まあ、小遣い稼ぎ程度ですね。不定期に。

なので転売に抵抗はありません。

前職も商社ですし、家業も転売ですしね。

せどりという言葉は、実は知りませんでした。

ネットビジネスで検索した時、せどりが出てきました。

この時に、Amazon販売のことを知ったわけですね。

ヤフオク転売をやっていたこともあり、販路としてAmazonがあるんだなあ位にしか、思っていませんでした。

まあ、そうなんですが。

Amazon転売を知ったので、すぐにAmazonへ商品を出品してみました。

出品がヤフオクより随分簡単でした。

仕入に関しては、ヤフオクで売ってる商品と、アマゾンで出品されてる商品に価格差があることをすぐ気づきました。

まあ、今までヤフオクで販売した商品をAmazonで見てみたら、倍以上の価格で販売されていたので、

これ、いけるかも!!

そう確信しました。少なくとも価格差が存在することがわかりました。

そして僕はせどりをやってみることにしたのです。

実は、まだこの時は電脳せどりという言葉を知りません。

ネットビジネスへの入り口は、こんな感じでした。

それから僕は前述のとおり会社と退職交渉を始めます。

交渉開始日から退職日までは約4ヶ月間かかりました。

その間、会社の仕事は今まで通りこなしていくのですが、当然次を考え始めます。

どうするか?

前職での経験から、企業は経営者次第であり、また、どんなにいい経営者にめぐりあえても、世代交代することがある。

すると、全てがガラリと変わる場合がある。

自身の信念を貫くと、うまくいかない場合がある。

労働力の対価として給料がある、というのが全てでは無い場合がある。

そういうことを学びました。

甘い!!そんなの、あたりまえじゃないか!!

皆我慢して飯食ってんだ!!給与は我慢料だ!!

そういう声が聞こえてきそうです。

でも、僕には出来ません。

仕事は、我慢することだとは到底思えないからです。

もちろん必要な我慢はします。当然。

ただ、理不尽な我慢して、不当な扱いを受けて、自分の信念を押し曲げて、それでも我慢し続けて、そして一生を終える。

それが、納得出来ないのです。

仕事は、楽しいことであるべきだと考えます。

仕事によって複数の笑顔を呼び込むこと、それこそが「仕事」だと思います。

我慢して、我慢して、いい仕事が出来るとは、正直思えません。

僕から言わせていただくと、我慢して仕事をして、それが仕事だと言ってる方のほうが、正直甘いと感じます。

仕事って、そんな簡単なものではないはずなので。

学校の勉強も、楽しんでやることがいかに難しいことか、大体の方は経験されているはずです。

仕事を楽しむ、そして楽しみ続ける、これを限りなく実現すること。

それこそが、良い仕事、良い人生、なのではないでしょうか。

僕はそう思います。

仕事をされている方の大半は、時間を仕事に割きます。

つまり、仕事での時間が、人生での時間の大部分を占める、ということです。

ならば、楽しみ続けることができる人こそ、いい人生を送ることが出来る人なのではないでしょうか。

僕の方向性は定まりました。

自分で始めよう。まずは一人から始めよう。

そう思った時、僕の頭にはあらゆるアイデアが、ビジネスモデルが、浮かんできました。

夢が、際限なく広がってきました。

久しぶりの感覚でした。ワクワクしてきました。

そうだ、この感覚こそが、仕事をして得られる感覚、喜び、充実、満足、やり甲斐、コレこそが!!

心のベクトルがポジティブな方向に向き始めました。

ですが実現するには資金もない、生活費もない、そんな状況ですね。無職になるわけですから。

なので僕は、まずはせどりから出発しよう、そう考えました。

せどりから始め、ネットビジネスで基盤を構築しよう、そう考えました。

これが、僕がせどりを本格的にスタートさせた理由です。

僕には夢があります。

アイデアを一つでも実現させるという夢が。

電脳せどりはひとつのステップだと考えています。

せどりからはじめ、ネットビジネスの世界へ深く入り込んで行こうと思います。

そして僕は決めました。

この世界で、必ず成功する。

と。

幼少の頃から鍛えてきた仕事に関する概念、実務経験がその概念のただしさを証明してくれた社会人生活。

実務優先、実力主義ならば勝ってみせる。

僕の新しい道が始まりました。

 

長文お付き合い頂きありがとうございました!

いかがでしたか?少しでも僕「しんしる」を感じていただけたでしょうか?

少しでも感じて頂けたら、やはり嬉しいですね。

こんな僕ですが、興味を持っていただけた方、一緒に競いあいたい、情報共有をしていきたいと思って頂けたら一緒に頑張りましょう!!

この世界で、自由自在に生き抜く、実現させましょう!

たった一度の人生、自分のやりたいように生きる

それではほんとに長い長い長文かつ乱文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。

これからも、どうぞよろしくお願い致します!

また、僕の実績については下のリンクからどうぞ。

 

>>しんしるの自己紹介【電脳せどり・コンサル実績編】を読む

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十数年間企業に勤め、営業の仕事をしてきた管理人「しんしる」が雇われない生き方を求め、せどりを中心にネットビジネスの世界にやってきました。ネット仕入れ・ネット販売の電脳せどりで、自宅でもカフェでもファーストフードでも、いつでもどこでも自由にせどりをしています。サラリーマン時代に営業で培ってきた販売ノウハウをネットビジネスの世界でも応用。確かな手応えを元にブログ発信しています。たった一度の人生、一緒に自由を手にしてみませんか?

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